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高遠ユミ(yumi131ff)

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FC2小説で主にR-18作品を公開しています。ブログのテーマはエロいこともあればエロくないこともあります。作品は下のリンクよりどうぞ。


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CSで観た官能系映画、久々に良かった一本です。
2014年のロシア映画だよ。

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〈あらすじ〉
モスクワで母と義父と暮らすオーリャは、クリミア半島の田舎町を訪れる。会ったことのない実父・セルゲイを訪ねるのが目的だが、土壇場で怖気づく。同行した友達のサーシャと名前を取り替え、怖いもの知らずのサーシャが娘のふりをすることに。
地元の青年キリルと出会ってすぐにイチャつくサーシャ。武骨なセルゲイは突然現れた娘の奔放な振る舞いに戸惑うが、次第に打ち解けていく。
オーリャはセルゲイにとって母のことは行きずりの関係だったと知り傷つく。
サーシャはキリルと体の関係を持つが、なぜか気が塞ぐ。父のいないサーシャは、セルゲイに対し父親として、また異性としての両方が入り混じった思慕を抱くようになる。交流を深める二人に嫉妬するオーリャはクラブでハイになった勢いでキリルと寝、セルゲイに本当の娘は自分だとぶちまけるが──。

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〈キャスト〉
サーシャ:アレクサンドラ・ボルティチ
オーリャ:マリーナ・ワシーリエワ
セルゲイ:コンスタンチン・ラヴロネンコ
キリル:キリール・カガノーヴィチ

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17歳。こういう物語の主人公はてっきり真面目なオーリャと思いきや、ん? あれ? 違う、サーシャが主人公なのね。ビッチなピンクのファッションに紫の口紅。アソコの毛を染め、会う男、会う男と簡単に親しくなって、観ていて面白いわけですよ。たいていこういう子はヒロインの添え物だったのですが、こっちが主役なわけですよ。尻軽だけど機転が利いて、これがなかなかいい子なんです。危なっかしい美少女、こんな娘が突然できたらパパもドキドキしちゃーう。

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むしろオーリャは普段度胸がないくせに、ヤケになったら勢いだけで男と寝て秘密を暴露して自爆、そんなタイミングで本当のこと言うなら最初から言えよ、なトホホな子なんですが、まあわかる。自分もどっちかといったら断然オーリャのタイプですもの。
サーシャに向かって、「あんたは父親がいないから家族のことなんてわからない」と言ってしまうオーリャ。そりゃ言っちゃいけない。寝ようがわめこうが結局キリルにも相手にされず、尻軽なのになんだかみんなに好かれちゃうサーシャをずっと横目で見ている。負け惜しみで「私キリルと寝たわ」なんて言ってみるけど、サーシャにとってはキリルなんてどうでもよい。
物語を動かす力があるのはサーシャのほうだった。
ほろ苦いラストも爽やかで良かったです。

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舞台となるクリミア半島はロシアになったりウクライナになったり通貨が違うようで、冒頭、食糧品店で、「そのレート合ってる?」と国境が動く国を感じさせるシーンから何となく引き込まれました。面白い、あるいは自分の好みという映画は何気ない冒頭からすっと入り込めるもので、CSで「官能」と銘打った映画はけっこうたくさんやっているのですが、面白いと思えるものがなかなかなくて、これは久々に好きな一本でした。

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二人の少女もそれぞれ大胆なラブシーンあり、惜しげもなく白い肢体を披露するロシアンガールズ。ピチピチ跳ねる魚のようにみずみずしいサーシャ。ドラッグでハイになってクラブでやっちゃうオーリャ。どちらも若さ弾ける感じでなかなかエロかったです。

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可愛いけど安っぽい家具やカーテン。
レストランでサーシャがかぶりつく食べ物なんだろう? クレープのように見えてパリパリ固そう。調べたら「チェブレキ」というものみたいですね。中身は挽き肉かチーズらしい。うまそうです。

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観光地のようで海もあるけれど、ロシアのせいか、あんまり暑そうに見えない。きっと夏が短いんじゃないかな。夏が短そうな地域の夏は、切ない感じが似合う。アメリカ西海岸とかだとこうはならないと思います。

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18日に始まったばかりのブリューゲル「バベルの塔」展へ行って来ました。

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メインはタイトル通り「バベルの塔」という作品ですが、私が観たかったのは版画作品のほうです。
ブリューゲルというと油絵しか知らなかったのですが、ヒエロニムス・ボスをリスペクトした作品があると知り、がぜん興味が湧きました。
(ヒエロニムス・ボス「快楽の園」はコチラ
ボスの作品「放浪者(行商人)」や「聖クリストフォレス」なども展示されています。

なんでも、ボスの没後50年ごろ版画界で「ボス・リバイバル」のブームが起き、ボスをモチーフにした作品が大流行したそうで、中でもブリューゲルが下絵を手掛けた版画は大変高く評価されたそうです。

これは楽しい! 奇怪な雰囲気の古い版画大好き。
「七つの大罪」や「七つの徳目」の連作をはじめ魅力的な作品がいっぱい。
見ても見ても、もっともっと細部までじっくり見たくて、皆さんも足を止めて見入っているのでなかなか進みません。空いてる時間にゆっくり観たい…。

↓ 「大きな魚は小さな魚を食う」弱肉強食の意味らしいです。

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↓ そしてこの絵に登場するコイツが展示会のマスコットキャラクター
「タラ夫」  穿いているのは足袋なのか?

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↓ 私のお気に入りはこの子

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↓ 赤ちゃんのようで老人だ 

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↓ 頭部がペ○スみたいだね

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↓ 水木しげるのキャラクターかと思った

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↓ 俺の腹で何をするんだよう

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↓ やけにキュートな子もいるぞ

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↓ モンスターはいないけど船の版画が綺麗だった
「ガレー船を従えた3本マストの軍艦」

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「バベルの塔」はそれまでも絵の題材としては描かれていたものの、ブリューゲルほど壮大な、まさに天に挑戦するような塔を描いた画家はいなかったようで、高層ビルなど無い時代にそういう大きさを想像すること自体が難しかったのだろうとのこと。緻密さもすごい。
「時間を掛けて造っている」という表現のため、下から上へ窓の様式が変化していったり、下の方は色が褪せていたり。

人間がこんなナマイキな建造物を造るとは皆が同じ言語で意思疎通を図るからだ、とそれができないよう神が人々をバラバラの言語で話すようにした、という聖書のくだりですが、今となっては平和に意思疎通できるようにしてほしいところですよ、神様。地上では、あなたをめぐる争いが絶えません。


ボスやブリューゲル以外で印象に残ったのは、
ヨアヒム・パティニールの
「ソドムとゴモラの滅亡がある風景」
↓ とても小さい絵なのに、迫力あります。

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「枝葉の刺繍の画家」と呼ばれる人の「聖カタリナ」
↓ 刺繍みたいな枝葉はもちろん、スカートの刺繍も本物みたいに綺麗でした。

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公式図録が2500円とお手頃価格なので予想通り買っちゃいました。ポストカード何枚も買い集めるよりむしろお得な気がするけど、モンスターのポストカードもまた可愛いんですよね。
図録けっこう売れているようで、やっぱりあの版画、隅から隅まで心ゆくまでじっくり眺めたいですよねえ、わかります。(塔のポスター付きです)

今回グッズもかなり楽しいですよ。品数も多い! 
適度にポップなキモカワキャラクターたちがTシャツや雑貨と相性良く、なかなかテンション上がるグッズコーナー。
私はモンスターTシャツのビビットな黄色が可愛いと思いました。

バベルの塔をプリントした赤いTシャツも可愛いかった。
↓ これはトートバッグですが、こんな感じのシャツ

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↓ エッグスタンドも可愛くて一個買ってしまいました。

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20種類もあるのでどの子にするか迷いました。
お洒落な部屋にディスプレイしたらけっこうお洒落になると思うのですが、私の部屋に飾るとなぜだか得体の知れない「仏具」のようです。

↓ バンダナ

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マグカップやお皿もあります。
絵もグッズもぜひぜひ観に行ってみて!

ブリューゲル「バベルの塔」展
〈東京〉東京都美術館(上野) 7月2日まで
〈大阪〉国立国際美術館 7月18日から10月15日まで

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挿絵続きということで。
以前、平凡社ライブラリー ホラードラコニアの「菊燈台」と「ジェローム神父」をやり、だいぶ時間が空きましたが、今回はそのシリーズ「狐媚記」(こびき)。

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なんであの頃取り上げなかったかというと、山口晃の「菊燈台」、会田誠の「ジェローム神父」に比べると挿絵にエロ要素が少なかったからですが、可愛さと摩訶不思議感が時間が経つほどしっくり馴染む気がするのでした。
こちらの挿絵は鴻池朋子(こうのいけともこ)。既出作品と本書のための描き下ろし作品の両方あるようです。物語はもちろん澁澤龍彦です。

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〈あらすじ〉
左少将の奥方・月子が産んだ子供は狐の子であった。生まれた子供はただちに処分され、月子は、獣と間違いを犯したのではと疑われ、夫から冷たい言葉を浴びせられる。深く傷つき床に臥せ狐の子の幻を見るようになる月子。
しかし、そんな子供が産まれたのは実は左少将の隠れた趣味のせいだった。婆娑羅趣味に始まり、魔法に手を出した左少将は、ある木地師から手に入れた狐玉をそれはそれは大事にしていた。ところがある日、左少将と月子の第一子であるいたずら盛りの星丸が、禁忌である陽の光に狐玉を当て駄目にしてしまう。
やがて見目麗しく成長した星丸は女という女を片っ端から弄び、あまりの所業に両親さえも手がつけられないほどに。ある夜更け、星丸は怪我をした娘を連れて母の屋敷を訪れる。一体どこの馬の骨を連れ込んだかと訝しむ月子だったが、女の顔にかつて夢で見た娘の幻の面影を見て──。

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婆娑羅(ばさら)ってよく知らなかったんですけど、別に魔術のことではないんですね。ウィキで見ると、「時の権威を軽んじて嘲笑・反撥し、奢侈で派手な振る舞いや、粋で華美な服装を好む美意識」だそうで、関連項目に「かぶき者」「パンク」「ヤンキー」が出てくるので、わかりやすく言えばそういうことなのでしょうか(笑) 婆娑羅では飽き足らなくなりオカルトにのめり込んだ左少将はさしずめスチーム・パンク? パンクやメタルからゴシック趣味へ行く人のイメージでしょうか。
しかしまあ、ぬけぬけと妻を罵り、勝手な男よブツブツ…。

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澁澤龍彦は子供を望まなかったようで、親子という縦のつながりを否定していたそうですが、子供を持つと案外普通のパパになっちゃいそうで怖かったのではないでしょうか。いつまでも生活感の無い神秘の世界で生きていたかったのでしょうか。


私がとっても好きなのは、月子が夢の中で子狐の手を引いて、「お宮参りに行きましょうね」という場面。娘の手を引いて幸福感に満ちていたのに、神社の境内へ入った途端、周りの人間の親子連れを見て、自分だけ子狐を連れている恥ずかしさと惨めさから衣の下に子供を隠し強く押さえつけるあまり死なせてしまい、うろたえ嘆き悲しみます。
周りの人と同じって、そんなに大事? なーんて、澁澤龍彦がそんなことを考えて書いたとは思わないけれど、印象的なシーンなんだよなあ。

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星丸が狼藉者に成長したのは、心の病に臥せる母にかまってもらえなかったせいでしょうか? 「母親ゆずりの美貌を武器として、おのれの前に立ちあらわれるすべての純潔、すべての無垢、すべての清楚を手あたり次第に踏みにじることに星丸は異常な執念を燃やす」星丸が、初めての恋に狂った相手は妹だった。左少将の呪いははね返り、我が子の近親相姦という結末に相成ったのでした。
星丸と娘が睦み合う最後のシーンも幻想的よ。

今回のカテゴリは小説のほうにしておきます。
ホラードラコニア「菊燈台」、 「ジェローム神父」も見てね。 

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↓ 文庫サイズ 表紙他、挿絵21点




遅ればせながらやっと購入しました「天守物語」、あら素敵。
裏表紙からめくると英訳版。英語版ページに宇野亜喜良、日本語ページに山本タカトの挿絵がそれぞれございます。ひとつの物語を二人の画家が描き、耽美な世界の表現を華麗に競っております。

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〈あらすじ〉
姫路のお城の天守には精霊の富姫が棲まう。猪苗代から遊びにくる妹分の亀姫をもてなしたりと優雅に過ごしている。人間の太守の鷹狩にちょっかいを出したことから、殿の命令で様子を見に来た鷹匠・図書之助(ずしょのすけ)と富姫は惹かれ合う。ところが図書之助は、富姫が持たせた兜のせいで賊扱いされ追われる身となり、再び天守へ逃げ戻り──。

綺麗なお姫様はね、もちろん美しいのですがね、やっぱり腕のみせどころは舌長姥(したながうば)とか朱の盤坊(しゅのばんぼう)のような妖怪じみた楽しいキャラクターの描き方ではないでしょうか。

道中揺れたせいで土産の生首から汁(つゆ)が出といい、舌長姥が長い舌で汚れを舐めとりながら「うまい、うまい」って清めてるんだか味見してるんだか滑稽な場面です。

↓ 宇野亜喜良の描く絵は婆様さえもチャーミング

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↓ こちらは山本タカト

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「天守物語」、ずっと以前に坂東玉三郎主演の映画を観たことがあり、宮沢りえ演じる亀姫が小憎らしいほど可愛かった記憶があります。宮沢りえは特別に好きでもないけれど、この役柄に当時たぶんアイドルとして絶頂だった頃(?)の華やかさがぴったり合っていたように思います。
天守から白露をエサに花を釣る女の童たちや、男の生首を土産に持参しケロリとしている亀姫など、前半はとても魅力的だったのに、後半のラブロマンスがちょっと退屈になって原作(戯曲)は読んでいませんでした。

まあなんか、時期的に、耽美的なものから遠ざかっていたりして、泉鏡花といえばその映画のイメージしかなかったのでずっと読まずにいたのです。で、この際やっぱり読んでみるか、と今のところまだちょっとですが読み出したら、いきなり「高野聖(こうやひじり)」でガツンとやられちゃった。「旅の僧が山奥の家で妖艶な美女にもてなされるが、実は女は男を畜生に変えてしまう妖怪だった」というあらすじはありがちな感じ、なんて高を括って大変失礼いたしました、その文章の匂い立つように濃密なことといったら、もう魂持っていかれました。土下座。もうちょっと読んでみます。

↓ 朱の盤坊 (宇野亜喜良)

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↓ 朱の盤坊 (山本タカト)

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(今回カテゴリーはアートです)

ぜひお手に取ってじっくりご覧あれ。




最近、絲山秋子を立て続けに読みました。
初めて読む物も、以前に読んだものもいくつか読み返して、とてもしっくりと読み心地の良さを堪能したのでした。
普段はどちらかというと若めの作家の若い話が好きだったりしますが、絲山秋子の小説は大人向けだと思います。どこか不甲斐なく、でも仕方なくがっちり自分の人生を生きる主人公たち。

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絲山秋子の文庫本は裏表紙のあらすじでちょっと損している気がする。なぜって、あのあらすじだけ読むとそれほど面白そうに思えないのだ。話自体は決して派手ではないから。でも面白いのだ。
大人だからって完璧ではないし、エラそうでもないし、優雅で華麗な生活なんかしていない。
登場人物はときにひきこもり(「ニート」)やアルコール依存症(「ばかもの」)だし、妻に先立たれ子供たちは家を出て所在ない中年男(「末裔」)だったりする。

たとえば「ラジ&ピース」
「醜いのは野枝自身だった」
という一行から始まる小説の主人公・野枝(のえ)はローカルラジオ局のパーソナリティで、マイクの前では流暢に喋るのに普段の人付き合いは苦手。身内とも確執がある。
「野枝にとっては他人がいともたやすく、自分のフタをぱかっと開けてみせるのが不思議でならなかった」
「『世の中には、狂人と変態意外いません』」

そんな彼女に人懐っこく接する医者に見えない女医の沢音。沢音みたいに何の躊躇もなく人の懐に入り込む人っている。このタイプに懐かれたら心開かずにいられない、たぶん。
静かな小説ですが、何気にとても好きです。



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それから「袋小路の男」(川端康成文学賞)
強く惹かれているのに絶対寝てくれない男。じれったい。
他の男と付き合ってみるけど、「浮気じゃ何の解決にもならないことが判って」しまう。
心理学のテキストに出てくる、「あなたは好きな人と一夜を共にして別れるか、何もないまま毎日会い続けるか」というのが印象的で、私だったら短絡的でバカだから絶対前者を選ぶんだよな、と思ったり。

周りの女友達が、やれ「人間だって動物なんだから」とか「カラダの相性」とか言うのは、いかにも日常よくある光景で、どうでもいい友達や同僚なんか相手に自分自身もそんなことを言ってることがあったりするんだけど、人と人が、男と女が、なにで繋がっているか、他人にはわからない関係があって、そういう人を前にしてそんな薄っぺらな知ったふうなアドバイスの、なんて安っぽくバカに聞こえることだろう、と恥ずかしくなる思いがする。



「海の仙人」(芸術選奨新人賞)でもセックスしない男女が出てきて、女友達が、「別にやるのがすべてじゃないけどさ、それって彼女がかわいそうじゃない?」と食い下がる場面も本当にあるあるで、客観的に見るとバカ丸出しのおせっかいである。



そうかと思えば「愛なんていらねー」とその続編「不愉快な本の続編」でいきなりスカトロである。前にも書いたけれど、私がスカトロという行為を淫靡に感じてしまったのは「愛なんかいらねー」を読んだときが初めてかもしれない。「不愉快な~」ではチャラチャラした乾(いぬい)の、本当とも嘘ともつかないしゃらっとした語り口が最初は、気取ってんじゃねーよフランス帰りめ、と思っているのにいつの間にか惹かれている。近くに居たら絶対墜ちるだろう、いとも簡単に。愛すべき悪漢小説。





「ばかもの」の二人は言葉よりセックスで繋がる。体に触れることが話すことに勝る結びつき。

ややユーモラスな「妻の超然」。倦怠期を迎えている方にもそうでない方にもおススメの一冊。

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年下の夫・文麿の浮気を見て見ぬふりする理津子。
「文麿のいない家は、当初は寒々しかったが、今となってはすがすがしい」
「陰毛が宙を舞うところを見たことはないが、それがいつの間にか廊下の隅や食卓の下などに移動しているのは日常的に目にするものである」
「連れ込んだのか?
 敵が本陣に攻め込んだのか?」
とテンポ良い、その反面、

「しかし一方で理津子は激しく自分を責めるのだ。性に対して陰湿なイメージと罪悪感しか感じない自分のことを、女としての価値が低いと思いこむのだ。(中略)生物として当たり前の悦びが自分に備わっていないと思う。欠落していると思う」
この気持ちも分かる。厳しい家庭に育ったりすると性を謳歌しようとしてもどこかでブレーキがかかる。でもそんなふうに見られたくなくて一生懸命開放的なふりをする女がどれだけいることか。
それこそ普段言ってることと矛盾するかもしれないけど、「女だって男と同じように性欲があって当たり前、動物だから」、という気持ちの反面、「誰もかれもがセックス大好きなわけじゃない、好きじゃないと人間としておかしいとかつまらないと思われそうだから好きで当たり前のふりをしている」という人もけっこういると思う。
この小説の最後、そのセリフで終わるか理津子さん(笑) これも絲山秋子ならではな感じ。



前出「不愉快な本の続編」の中で乾は、アブノーマルなプレイのことを、
「遠い妄想の世界のなかで化学物質みたいに安定していたことが、日ごとに実現しちゃうのよ」
「バリエーションがあれば飽きないって思うでしょ? 逆なんだ。バリエーションがあればあるほどクリアしちゃったらそれっきりのゲームになっちゃう。妄想してたときの方が幸せだったことに気づくのは手遅れになってからだよ」
ほんと、官能小説の中なんかでコーフンしてるうちが幸せなのかもですよ。


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芥川賞受賞作品「沖で待つ」は、男女の友情。ふいに事故で亡くなった同期の男性社員「太っちゃん」に、主人公がまったく恋愛感情を持っていなかったかどうかはわからない。彼が社内結婚したとき、本当は心の隅で「あっ、やられた」と小さく思ったんじゃないのかな。さすがデキる女はイイ男を見る目がある。

「仕事のことだったら、そいつのために何だってしてやる。
 同期ってそんなものじゃないかと思っていました」
私はひとつの会社にそんなに長く勤めたことがないので同期の感覚がよくわからないし、若い時は仕事のために身を削るなんてまっぴらと思ってきたけれど、十二年間メーカーの営業としてバリバリ働いてきた著者の言葉はずっしり重みがある。
小説自体は読みやすく軽やかですが、これは泣けました。「沖で待つ」という言葉もとても良い響き。
若くしてデビューする小説家ももちろん素晴らしいのだけれど、一定期間普通の社会人生活をしてきた人ならではの実直さが滲み出る作品も多い。



上手い文章とはこういうものか、というお手本もいっぱい。

「波打ち際の明るい碧(あお)の海は、一枚の布のように端の方から順々に立ち上がり、ゆるいカーブの壁を作って足にぶつかると、諦めたように白く砕けて引き返した」(海の仙人)

「あなたの家はふつうの二階建ての住宅で、見上げると二階の屋根の雨どいの端にぺんぺん草がすいすいと二本はえていた。あれが、あなたの原点だと私は決めた」(袋小路の男)

「小学生のときの彼は、快活とは言わないまでも何人かは一緒に笑い合う友達がいた。(中略)ところが急に背が伸び始めた頃から、生まれつき悲しい音のする楽器のような人になってしまった」(作家の超然)


「下戸の超然」に出て来る、
「善意には際限がないようでおそろしい。
 悪意というものは怒りと同じでモチベーションを保ち続けるのがおそろしく難しい。ところが善意というものは、ときには人を傷つけながら、人の自由を侵害しながら、イナゴの大群のようにすすんで行く」
これはまさに、「地獄への道は善意が敷き詰められている」ですね。
また、この作品の、酒の酔いを言い訳になあなあにしようとする人、酔った勢いで何でも済ませようとするあざとさへの醒めた目線も好き。
「『せっかくリラックスしてるのに』
 いいや、それはだらしないと言うんだよ」

「末裔」の主人公の隣人が、
「あたしは短気だけどからっとしてるからね」と自分で言けど、
こんな人に限って、
「ちっともからっとなんかしちゃいない。陰湿で粘着質で、手加減もない」
いるいる、こういう人。
優しくていい人だった死んだ奥さんが、実はけっこう腹黒かったくだりも面白いですね。



会社員時代にあちこち地方で転勤した経験をもとに地方事情や方言を活かし、また車好きらしく、どの小説にもよく車の車種が具体的に描かれ、私は自動車はさっぱりなのが残念だけど、きっとこの人物ならこういう車に乗っている、というイメージがバシッとキマっているんだろうな。

「海の仙人」に登場するその名も「ファンタジー」という神様や、ある日帰宅すると家の鍵穴がなくなっていたというカフカみたいな「末裔」のような非日常的なシチュエーションも絲山秋子が描くとひと味違う。ふだんはファンタジックなものなんか読まないよ、という方もぜひ読んでみて。子供っぽいファンタジーじゃないから。

表紙カバーの見返しに、やけに美しく撮ってもらったポートレートを載せないところも素敵です。


これまでに読んだ絲山作品は、
「袋小路の男」(「小田切孝の言い分」「アーリオ オーリオ」収録)
「ラジ&ピース」(「うつくすま ふぐすま」収録)
「ニート」(「愛なんかいらねー」「ベル・エポック」「2+1」「へたれ」収録)
「不愉快な本の続編」
「沖で待つ」(「勤労感謝の日」「みなみのしまのぶんたろう」収録)
「海の仙人」
「妻の超然」(「下戸の超然」「作家の超然」収録)
「末裔」
「ばかもの」
「逃亡くそたわけ」
「ダーティワーク」

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「ブリキの太鼓」という映画、有名な割に観たことなくて、初めて観ました。原作も読んでいません。
自らの意志で3歳で成長を止めたオスカルの物語。オスカルの目を通した人々の日々の営みはコミカルかつシニカル、猥雑で醜悪に描かれ、その醜悪さにうんざりしてきた映画の中盤、突如現れた美少女に私の目は釘付け。

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マリア役カタリーナ・タールバッハ。
カタリーナの、目、くちびる、一コマ一コマコマ送りして見せたいほどくるくる表情に富み現われる細かいニュアンスの数々が魅力的。俗っぽくて、蓮っ葉で生意気で、でも可愛くて優しくて、図太くて奔放なマリア。意図的に挑発的かと思えば次の瞬間、本能のまま快楽に浸る、その小刻みに変化する表情と、顔に合わず節くれだった細い指がなんだかとっても官能的。

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時代に合わせて腋毛を生やしたままの水着姿もそそります。
「ラスト、コーション」も時代に合わせて腋毛伸ばしっぱなしのラブシーンがエロくて評判でしたが、こちらはヨーロピアン娘らしく、気怠い海水浴場の水着シーンが印象的でした。全体的に寒々しい映画なのですが、このシーンだけが明るい夏でなんだかわくわくしちゃいます。

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粉ジュースだかシャーベットだかの粉を指につけてしゃぶったり、手のひらに乗せオスカルが唾で溶かした粉をおいしそうに舐めて戯れるのがまたエロいんです。たぶん時代的に甘いおやつというのがあまり豊富じゃなく、その変な粉でさえ子供たちにとっては魅惑的な甘味で、遊び半分ふざけているのが途中から夢中で舐めてる感じがエロいんです。

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身近な男と手近にねんごろになり、運命に逆らわずたくましく生きるマリア。男に中出しされて泣きながらシュミーズをめくって股下を洗うマリア。

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この映画、大人のセックスシーンの他に、オスカルとマリアのシーンもあり、そのせいで児童ポルノに該当するとかで国によりカットされたり上映禁止になったりしているようですが。

↓ 靴下を脱ぐマリア。階段に舞い降りた俗っぽい天使のようだ。

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三つ編みが野暮ったくならないどころかむしろ蠱惑的。
マリアは最初の登場シーンで16歳の設定ですが、撮影時のカタリーナは24歳だったそうです。確かに脱ぐとけっこう豊満。もう少し若い時にロリータの役をやらせたかったなあ。ドイツ人だけど。

美少女は年をとってもお洒落で可愛いですね。

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「ブリキの太鼓」、おそらく原作を読んだほうがナチ絡みの時代のダンツィヒ自由都市という背景をもっと深く理解できるのかもしれません。
映画では小人芸人の座長が良い顔をしていました。


スタシス・エイドリゲヴィチウスという舌を噛みそうな名前の画家はリトアニア生まれ。後にポーランド市民権を得て、各国の様々な賞に輝いているようです。
色使いは暗いんだけど、可愛くてユーモラス。

だいぶ前に購入して長年手元にある洋書の絵本は「ジョニー・ロングノーズ」と「長靴をはいた猫」の二冊。

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ピノキオじゃないよ、ジョニーだよ。
ジョニーの長い鼻はとっても便利。
100通りも使い道があるんだよ。

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↓ 幻想的

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↓ 怪我をしたクマちゃんがキュート

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日本語版ではなぜか名前が「ハンス」になっていました。
「ながいおはなのハンス」という邦題で翻訳されているようです。

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「長靴をはいた猫」(PUSS IN BOOTS)
↓ ダークだけどユーモラス

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↓ 粉屋の猫ざんす
暗い画面の中で目の輝きが印象的なのです。

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↓ 「はっ!」 草を摘んでいたら猫に捕まった!!
ウサギの表情が超可愛い。買った当時この絵が一番好きだった。

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上記二冊以外の作品を検索すると魅力的な作品が出て来る出て来る。

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アイデアが溢れかえっている感じですね。

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現在はもう絵本の仕事はしていないそうです。残念。

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↓ 洋書「ジョニーロングノーズ」



↓ 日本語版「ながいおはなのハンス」



↓ こちらはポスター


矢野顕子


BS「名盤ドキュメント 矢野顕子「JAPANESE GIRL」(再放送)を観ました。

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とにかくロックが好きで、テクノ系はイマイチだった私にとって矢野顕子という人は、巧いのはわかる、個性的なのもわかる、けどそんなに興味ない人でした。最近、今まで関心の無かったタイプのものが急に良く感じるのは年のせいでしょうか。
(そして今聴けばテクノでもない。ジャンルにもとらわれない)

モノクロ写真で見る在りし日の天才少女はメガネ姿で、昭和のガリ勉少女みたいなルックスだけど、ピアノは感情の赴くまま奔放で、譜面の表情記号なんて「目が悪いから見えないのよ」

ピアノのために地方から東京の青山学院高等部へ。この時代に音楽のため高校から東京へ出してもらえるなんて珍しかったのでは。しかも下宿先は当時ジャズバー「ロブロイ」を経営していた安部譲二の元である。(当時はヤクザ屋さんである)バイトでピアノを弾くアッコちゃんの写真はやっぱりメガネに、パーマをかけてみたけど今一つしっくりこない垢抜けないルックスである。でもピアノは飛び抜けてうまかった。

別のインタビューより:
「音楽だけでなく、社会人として大切なことや礼儀、女性としての振る舞いは、ホステスさんや下働きのお兄さん、安部さんのお店など、夜の世界が教えてくれたように思います。世間的には健全ではなかったかもしれないけど、私にとってはとても健全な世界だった」

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細野晴臣に紹介されたときまだ16歳。
デビューアルバム「JAPANESE GIRL」にはその細野晴臣や、あがた森魚、鈴木慶一、鈴木博文などが参加。
しかし、日本には自分とリズムの合う人がなかなか居ないと模索、ロサンゼルスでリトル・フィートとレコーディング。そのリトル・フィートが「力不足だった」といってギャラを返したという逸話があるそう。
「気球にのって」日本録音版もそれだけ聴くと充分かっこいいけれど、ロサンゼルス版と比べると、ああ~なるほど。日本人のリズムは直線的になりがちですよね。昔は「グルーヴ」っていう言葉の意味自体わからない人も多かった。

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ネットで検索すると歌声をケイト・ブッシュと比較する人が多くて、ああ、言われてみればね。いわれるまで気づかなかったけど。「パクリ」と言ってる人もいるけど、デビューは矢野顕子のほうが先みたい。けど別に、似てる・似てないはどうでもいいな。
声自体はあまり好みの声ではないのですが、ときどき心にふっと触れられるような歌声。
軽快に突き進む即興性の強いピアノはきっと二度と同じ演奏が聴けなそうな、ライブでこそ聴きごたえありそうな。

↓76年の映像だ~ 「電話線」



彼女のファンだという女優・のん(能年玲奈)が「明るくて爽快な曲や声なのに、必ずチクっと痛みを感じる。そこが気持ち良くって」
クラムボン・原田郁子はアルバム収録曲「へこりぷたあ」を、「危うい。不穏な空気。ダークでシュールな漫画を読んでいるみたい」
最近の若い人たちって表現が上手だな。なんでも「すごい」「おもしろい」しかいえない自分とエライ違いだ。

さらにネットで拾ったご意見:矢野顕子なんて全く好みじゃないという匿名の誰か:
「妙な母性があって恐怖を感じる」
わかる、それもわかる。アンチ派でもキミのそのセンスは好きだ。

その「妙な母性」がある不思議な色気に身近な男性はけっこうやられるんではないでしょうか。19歳で音楽プロデューサー矢野誠と結婚。その後は世界の坂本龍一と結婚・離婚。
坂本龍一曰く「僕は秀才。天才とは矢野顕子みたいな人」
やりたいこと、やるべきことが何なのか探し歩く人もいれば、最初から決まっている人もいる。

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音楽家というのを水のようだと思うことがあります。それぞれはっきり違う個性を持ちつつ、セッションとなると違うスタイルの人同士がすんなり溶け合う。
矢野顕子のイメージは「風」。そのピアノは飛び上がってどこまでも駆け抜ける。

↓ 別アルバムの曲ですが「ラーメンたべたい」
「男もつらいけど 女もつらいのよ
 友達になれたらいいのにね」
可愛い。この映像、森高千里に似ていませんか?



↓ 上原ひろみとのコラボ 天才×天才!
もはやラーメンはどうでもよくなる







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